NPO 茨城インドネシア協会
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アンボン在住10年目の事件 (1)       在ビツン(BITUNG)   吉田全志

アンボン騒乱の際、日本人として数少ない貴重な体験を通じて、なかなか知り得ない当時の状況を知る事が出来る体験談

私がインドネシア海老事業に1971年に参加してから今日まで30年になりますが、水大当時遠洋航海に政情不安で寄港できなかったインドネシアに12年間のスマラン基地をスタートに、飢餓島のようなアルー島基地、そしてアンボン駐在10年目に体験した宗教戦争、やむなく現在のビトンに基地を移転して9ヶ月、いつの間にか30年が経過してしまったという感じです。


スマラン当時、中部ジャワのSOLOでガールフレンドをめぐる中国人とジャワ人高校生の争いがきっかけで東はスラバヤ、ウジュンパンダンまで波及した暴動は一週間に至リ、スマラン市内は戒厳令が敷かれ夜間外出は禁止となり約150名の死者が出て当時としては大きな事件でした。

この体験も1970年のクアランプール、ペナンで遭遇したマレー人暴動と共に日頃おとなしく見えるジャワ人の抑圧された、何時か何かのきっかけがあれば暴発する、また90%以上の経済を握っている中国人に対する妬みと水と油のように溶け合う事の出来ない根強い反感を感じさせられたものでした。


アンボンの事件のきっかけはブギス(ウジュンパンダンより移住)人とアンボン人の間に発生した人種間の争いがやがて宗教戦争(イスラム対クリスチャン)となる訳ですが、これは背景には政治家の影があり作られたものとは周知の事実のようですが、7月の中国人商店焼討事件発生は、一連の97-98年にかけてのジャカルタの事件に見られる中国人焼き討ち事件のように下地があり最終的には中国人が対象(ターゲット)になるパターンの現われでもあったようです。


勿論各地に発生した教会焼き討ちとモスクへの襲撃の報復が作られたシナリオだとする説に従えばスラバヤ、ウジュンパンダンよりの移民を加え、ブトン、ブギス主体のイスラム勢力とアンボン人のクリスチャンの勢力は殆ど同じと見られ、オランダに多数が移民し自尊心の強いアンボン人とベチャ、農業等汚い事も何でもするおとなしいブトン人、海洋民族として気性の荒いブギス人を争いに巻き込んだのは成功だったと言えるかもしれません。


但し現在では両勢力ともに2000人に及ぶ死者を出し今なお果てしなき戦いが続くとは予想もしなかったのではないでしょうか。未だにバクダン(手製)が市内外を揺るがし、軍、ポリスの発砲はとどまるところがない事は周知の通りです。

戦争に積極的に参加した連中はともかく罪も無い女子子供そして、理由なく殺され、胎児までひきずり出された妊婦、無縁仏として水産岸壁にうめられている多数の遺体。
何の為の誰の為の戦いなのか、常に犠牲になるのは貧しく、住む家も無い行くところも無い人達です。
日常生活に宗教という基盤が無い私達には宗教戦争というものは一体何なのか好むと好まざるに拘わらず戦争に参加しなければならない人達の気持ちは全く理解できません。


小生の会社の船がアンボンに給油に入る時、港の入り口でクリスチャンを下船させイスラム船員だけで入港しイスラム勢力下の岸壁に接岸2-300人のイスラム戦士が船内を探し、オベットは居ないか(クリスチャン)と尋ねるのが通常、居ればなぶり殺しは確実です。

イスラムの船員でもパランを持った連中が200-300人やって来て魚を寄付しろ、クリスチャンは居ないかといってきたときには全く生きた心地がしなかったというのも無理ないことでした。

ジャカルタから貨物船に乗ってやってきたイスラムの船員が上陸して、知らずにクリスチャン地区に入り込み殴り殺されそれを聞いたイスラム勢が報復にでる等は数隈りなく、何度行われた手打ち式も全く効果が無く、戦いは果てしなく続いている現状です。

長く続いた独裁政権の崩壊そして政権交代、東チモールの独立職争、北スマトラ--アチェ地区西イリアン地区の独立運動も難問を抱えて、他の地区よりもっと問題の根が深いとおもわれる。


アンボン宗教戦争がおろそかに取り扱われているようですが、それにしても国軍一ポリス地方政府が一体となっておらず、軍の中でもマリニールは最も民衆には本人達は大半がジャワ派遣のイスラムであるにも拘わらずどちらにも味方しないことで評剰よく、他の連中は軍の中でも宗教間の対立、ポリスと軍の対立、時には軍同士、ポリスと軍の撃ち合いも行われているとのもっぱらの噂です。

アンボン島は旧ポルトガル、オランダ時代からグローブ、ナツメグなどの香料生産地でマルク州の中心地として栄えて来たが、水がきれいで沸騰させないでそのまま飲んでいる人達も多く、小生もためしに飲みましたが腹痛も起こらず下痢にもなりませんでした。


(此処MANADOとBITUNGの間にもAIRMADIDIR地区にもミネラルウオーターの工場が有るほどきれいな湧水が出ると聞いています。
道理でミナハサ地方に美人で色の白い女性が多いのは水の寄麗なのも大きな理由でしょうか。
それにしてもアンボンには黒い人が多かったようです)
海は特に南側のバンダ海側が急激に深くなっており西側のブル島との聞と共に1キロ沖合いは水深2000-3000mもあるので海の透明度は素晴らしい。沿岸でシュノーケリングをしていても30M〈らいは見えます。


世界的に有名なBUNAKENのサンゴ礁はまだ見る機会に恵まれませんがアンボン周辺もきれいな珊瑚礁が沢山見られます。
一部に魚を獲るのにバクダンを使用しているものですからサンゴが死んでしまって再生が送れている地域があるのは残念ですが。

アンボンは小さな島ですから始どの村には行ってみましたがイスラムークりスチヤンの村を問わず親しみやすい人達で暴動以降は市内と空港間を往復するぐらいでしたが以前は珊瑚礁のきれいな場所を心がけて歩きましたが殆どの人達が気さくに教えてくれたり案内してくれたものでした。


1998年12月末家内ともに休暇で帰国し1月末にアンボンに帰る予定が正月に始まった暴動が意外に長引き会社からの指示で3月末に再赴任まで最初の暴動は体験することができませんでした。
当初は2-3日で終わると安易な考え方をしていたのですか以外に長くなり3月末にはアンボン周辺は沈静化しその後7月末迄は小さな事件はあったものの殆ど治まったものと見られていました。

もっともアンボンは一度沈静化されたものの4月4日の日曜日にTUALに飛び火して新聞報道では30名位(実際は100名名余)の死者を出す暴勘が発生。小生の会社のスタッフ4名の行方が心配されましたが4月20日昼過ぎに全員の安全が確認されほっとしました。


一ヶ月余りに亙るTUAL暴動も扇動者、政治がらみといろいろな噂が流れたが、アンボンの宗教載争の避難者達が再びTUALで披害を受けたケースも多かったようです。

西イリアン海域(西南イリアン沿岸より真珠の島として戦前から有名なアルー島にかけてのアラフラ海)は海老の好漁場で東シナ海の北の黄海地方で漁獲される大正海老に似た通称バナナ海老、クルマ海老に似たオーストラリアンタイガー海老、

そして瀬戸内海のヨシエビ類のエンディバー(適称エンデ)養殖エビの代表ブラックタイガーの天然海老が漁獲され1969年の試験操業(アンボン基地)を最初に現在に至るまで、日本大手の水産会社や商社の合弁会社もここを主体に毎年6000--8000トンが内地向けの海老を生産しています。


又この海域はもともと1960年代なかばオーストラリアのダーウィン基地に日本の水産会社の合弁会社の船がカーペンタリア湾よリアラフラ海域までバナナエビ主体に漁業をおこなうてきた(オ一ストラリア政府の規制が厳しくなってきて各社共やがて撤退しアンボン、ソロン地区の事集にカを入れるようになったものです。ダーウィン基地の漁船の西イリアン海域での操業は無許可の違反操業でした。


又この海域は魚の宝庫でもあり東シナ海域の殆どの魚が見られます。従来韓国、台湾船の無許可操業船も多くアルー島南海域のヤりイカ漁場はシーズンになるとイカ釣り、トロール兼用船の約300隻操業を行ない、夜は遠くから見ると大都会の街の灯かりかと錯覚するくらいでしたが殆どが違法操業船で年間3000-5000トンが漁獲されているとのことですがデータは殆どないので良くわかりません。

もっとも最近はインドネシア海軍の取り締まりも厳しく無許可違反操業は難しくなっていますが。

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