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    青木 次郎 さん

 北スラウェシ州との民間交流に尽力された青木次郎さんが10月8日午後1時36分膵臓がんのため中野、ルカ病院にてお亡くなりになりました。 
90歳7カ月の大往生でした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。 
  
 青木次郎さんは、大正8年3月生まれ、19歳で志願兵として、中国に派兵され、昭和19年8月に、中国からの転戦を命ぜられ、フィリピンから、ハルマヘラ島への途中、セレベス海にて、輸送船めきしこ丸が米軍と思われる潜水艦に撃沈された。

兵員4千名とともに漂流36時間をへて、大多数が死亡不明となるなか奇跡的に日本軍の巡視船に救助され、マナド、マラライアン海岸に上陸、陸軍軍曹として北スラウェシ州ソンデルに駐留、戦後21年4月に帰国するまでの1年半を北スラウェシにて兵役した。

帰国後、印刷会社へ就職、順調に行くかと思われた途端、肺結核を患い、12年にわたる隔離、闘病生活。 その時にキリスト教の洗礼を受けた。

病気完治後、印刷会社を興し、従業員に会社経営を移譲するまで代表取締役として活躍した。
奥さんを亡くし会社を退職後、戦時中お世話になった北スラウェシ州の人々を忘れられず、渡航。
マナド市マラライアンに自宅を建築。ここを拠点に、ボランティア活動にはいった。
現在まで1年のうち10か月近くをマナドで過ごし、マナド日本人会にも属して国際交流に活躍した。
また東京の自宅に近い日本基督教団本郷教会に属し、教会員の協力を得て、募金を募りマナド市、サリオに幼稚園、小学校を建設寄付をしている。

そして、現地のミナハサキリスト福音教団(GMIM)と、大洗ベツレヘム教会の橋渡しを行い、日本基督教団との関係を構築し、GMIMから名誉牧師の栄誉を受け各地で講演説教をしていた。

大洗町のベツレヘム教会でも牧師会員の指導に当たり多くのインドネシア人に慕われ尊敬され、オパの愛称で親しまれていたこともあり、
10/12日の葬儀には、ベツレヘム教会員は以前から予定していた周年事業旅行を中止し、30名が葬儀に参加、彼たちの美しいハーモニーを献歌し、青木次郎氏を送った。

オパジロさんはインドネシア人を大切にしたが、その親切を利用し不法滞在を画策した輩がおり、オパの信用を一時失墜させてしまったが、人を怨まず憎まずの精神で、その後も彼たちの世話をした。

また、2005年に篤志家とともにトモホン日本語学校基金を創設、GMIMの前会長、パレンコアン牧師の協力を得て、土地を無料借用し日本語学校(ミナハサ日本語学校、PPBJM)を設立、玉井三郎氏とともに運営にあたった。 日本人の教師を常雇用し一時は学生数50名以上を擁し、ジャカルタでの日本語弁論大会でも入賞し設立2年目の快挙を成し遂げた。

しかし学長の急病により運営が行きづまり、青木次郎さんが引き継いだ。
青木さんは自費で学校を運営したが、生徒数も激減、一時は休眠状態になっている。

その後2008年に膵臓ガンが発見され、2009年3月、自身の誕生会を開催するために渡航したのを最後に病床に就いた。

その後、治療の甲斐もなく、平成21年10月8日午後1時36分他界されました。


オパ、ご活躍ご苦労さまでした。 ゆっくりお休みください。


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