NPO 茨城インドネシア協会
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終戦秘話  北千島守備隊の血戦         

                                  中島三一郎
発刊にあたり

民族の歴史を正確に把握分析し、次代に伝承することの出来ぬ民族には永い繁栄は期待することは出来ない。

 敗戦後のわが国民は、あたかも失心した人間集団のような虚無感に打ちのめされ、永い民族の伝統も誇りもすべて失い他国から押し付けられたことは、ことの是非善悪を問わず唯々諾々と聞き入れ正しいことも
「悪うございました」と頭を下げて通ったのが、つい最近までの日本の実情であった。

 これらは敗戦後のある過度期の姿としてはやむを得ぬものであろう。
 しかし、戦後四十数年を経過した今日においては、この態度は再考し、過ったことは謙虚に謝り、真実正かったことは飽くまで正しいという、

真偽のけじめを確乎として主張して貫いて行くべきではなかろうか。

 真実を体験したわれわれ年齢層の者が生きている間は事実に相違したものは飽くまで否定し続けることができるが、
幾つかの事例のように真実を伝え聞かされず誤った非道を基に教育せられた人達ばかりになれば、屈折された事実はあたかも正しかったことのように解釈処理されてしまうのではないかと私は恐れる。

 歴史を誤って後世に伝えることは民族として最も恥ずべきことではなかろうか。
 中国東北地区(旧満洲)の問題でも然りである。

 日露戦争時に日本が決起せずにたっての戦争に敗れていたならば、ペートル大帝以来のロシヤ民族の南進の野望は実現化し明治末期には旅順、大連は勿論、全東北地区はロシヤ領となり朝鮮もその余燼は避けられなかったであろう。

 日露戦争後もロシアの南下政策を防止するため日本も対抗上南満洲鉄道を中心に東北地区の経済的繁栄と政治的安定化政策を援助せざるを得なかったことは歴史的必然の道程であったろう。

そして大東亜戦争では日ソ不可侵の中立条約の同盟国ソ連は昭和二十年八月八日
一万的に条約を破り、シベリアの監獄帰りのいわゆる‘入れ墨部隊(日本の関東軍の「弾よけ」として編成された部隊で

彼らが陥落寸前のベルリンに進入した時も市民に悪業の限りを尽くしたという噂の荒くれ者である)が先兵として旧満洲に侵攻して来たものであって全く何をしでかすかわかったものではない、特に婦女子への暴行は
---この対策---

婦女子を床下や天井裏に隠す--‐頭髪を切って男装させさらに顔に泥や墨を塗り胸にサラシやタオルを巻いて乳を隠すなど----

これが為一家離散し、現在の中国残留孤児の悲劇が生まれたのである。

‐このことの詳細は別に記録することとし今回は殆んど知られていない
「ソ連の北方領土への侵攻」を伝記作家奥田鉱一郎氏の記録をもとにして記すこととする、
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