NPO 茨城インドネシア協会 
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落下傘隊長 堀内海軍大佐の生涯    上原光晴著


            あとがき より(抜粋) 

わが国はじまって以来の敗戦と未曽有の混乱のさなか、堀内大佐は自由も基本的人権も奪われた一復員将校として、家族から引き離され、故国をはるか遠くに隔てた炎熱の地に連れ去られ、軍事裁判の法廷に立たされた。

 堀内大佐の場合、その優れた軍政によって現地住民から得た高い評価がはっきりと見出せます。
けれども、その反動がかえってオランダ側による報復裁判を招く結果ともなったといえるのです。 

獄舎につながれた堀内大佐は、旧敵国への憎しみや敗者の悲哀、身の非運、それらを超えて、この世と別次元の宇宙的視野でものごとを見るところにまで、自らの心を高めていきました。

判決日から処刑されるまでの数カ月間、家族を、同胞を、人類を思いやる心を静かに燃焼させていったのです。 
極東裁判では、堀内大佐のほか千人もの旧軍人たちが、第一次世界大戦までには存在しなかった戦争犯罪人の名を被せられ、処刑されました。その人たちの多くも、堀内大佐と同じように人を愛する心をもちながら、働き盛りに生命を断たれました。

こみあげる感動を抑えずに、彼らの遺書を読むことはできません。
 これら受刑者の多くが、処刑に臨んで堂々たる態度を保ち、看守の労をねぎらう優しさを示し、戦勝国側(連合国個)の軍人、裁判関係者から尊敬された事実は、戦後史に特筆すべきものだと私は考えます。
 「死に臨んで少しの不安もないのは、小生の過去の清らかな生活がさせるものと信ずる」と断言し、 「父は国家の犠牲となって死ぬのだ」と、遺書のなかで静かに語りかける堀内大佐の言葉が、私の心にも響きます。

戦争裁判の結果、日本は指示された「罪」を償いました。その流れが、サンフランシスコ講和条約へ、日本の独立へとつながって、現在の平和と繁栄を形づくるに至っています。現代日本社会の繁栄をさかのぼって考えた場合、戦争裁判におけるこのような人柱に触れずには通れません。

 第二次大戦で、日本がアジア諸国に多大の被害を与えたのは事実です。が、その渦中にあって、同じアジア人同士の連帯と信頼に立ち、現地住民と親しく交わって独立を助けてきた軍人や民間人も日本側にはいたことも知っていただきたいのです。

 今日の日本とインドネシアとの間に存在する友好親善関係が、堀内大佐や多くの善意の人々、戦死または刑死した旧軍人およびインドネシア人、インドネシア独立戦争に参加した旧日本軍人たちのうえに成り立っていることを、取材しながら感じました。

 そして、このよき関係を他のアジア諸国との間にも醸成し発展させていくことが、生き残り平和を享受している私どもの務めだと思われてくるのです。





       目次

第四章メナドに天駆ける日まで
  --苦境の落下傘降下訓練-- 第五章 敵陣に舞う落下傘
--オランダ軍の銃撃と戦う--- 第六章 現地の人々を友として
-- 沸きあがる独立の歌声---

第九章 敗戦軍人に茨の道
-- 非常なポツダム宣言条項--
第十章オランダ軍事法廷に立つ
-- 責任を一身に負って---

終章 ブーゲンビリアの花
--日、イ友好のかけ橋に---     --- おわりに ---
   著作の都合上、一部北スラウェシ州 関係の部分のみ抜粋記載いたしました。
       出典 樺ゥ日パノラマ発行 山辺雅男著海軍落下傘部隊より
                  
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