NPO 茨城インドネシア協会 
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この手記は、青春のすべてを賭けて戦い、戦争裁判の悲劇を背負い、公正な裁判を受けることなく、一方的に犯罪者の恪印を押しつけられた青年兵士の、死刑直前直後の姿を描いている。
 戦争の最終的審判は「歴史」にゆだねるよりほか致し方ないが、歴史の真実、人間の真実をつたえることを第一義とした立場から読んで頂きたい。
 ここに一つの事件を通して、人間の本然的姿をえぐり出し、背面に冷水をあびる思いがするのを禁じえないのではないだろうか。                                          
 戦争。否、人間の悲劇をここに読みとっていただければ幸いです。
                                             編集部 敬白


    日本兵の死  2        小林常八
   
死 刑 執 行  (副題)  死刑執行の実相
 

 死刑判決があって二週間以内に和蘭女皇に嘆願書提出許される。其採否は三ケ月から六ケ月、永きは一年を越ゆる場合があった。
嘆願書が却下された日から四十八時間以内に刑が執行されるのである。
嘆願書却下の公の通知が我々に知らさるる前に、事務室から内密に其氏名を知らして呉れるので、其夜別れの催しをする。

 執行される人の名が判ると、各室の人々は、或は煙草、或は副食物、又インドネシヤ人の差入物など、出来る限りの御馳走をし、夜に入ると、各室から別れの歌が流れる。
執行さるる人も之れに答えて、次から次へと歌はれ、又インドネシヤ人側からも歌はれて、各々別れを惜しむのである。

 一夜明けると水浴して朝食後憲兵の迎えを待っている。
 やがて八時頃二,三人の憲兵が、白繩の肩章と白の革バンドをして現はれる。アアとうとうやって来た、いやな奴等が来やがったと思ふ間もなく、五人位の憲兵と、大崎弁護士と通訳杉本氏が来る。日本人側もインドネシア側も、シインとして憲兵の一挙手一役足に固唾を飲む。


 ガチヤンと錠前を開けて名を呼び上げる。
 ハイと答へて足取りも確かに出てくる。
 一斉に眼は両人に注ぐ。


憲兵は除ろに杉本通訳を通じて連行する旨を告げ、付添人として友人各一人宛が許される。夫れは更に憲兵隊で別れを惜しませる、せめてもの和蘭官憲の情である。

 すでに死を期したる人々は、自ら白木の遺牌を手造りしている、
来たるべき運命の日を待ったであろう。 われわれ一同は整列して、一人一人握手をし、いよいよ最期の分れの一歩を踏み出す時に、自然に湧き起る。
 万歳/
オイ元気で行け後から行くから待って居れ!と云ふ声のあとからインドネシア側からも  
 平山!山田!   と掛声が、かかる。
              
 両人は振り返り振り返り両手を挙げて訣別して行く、みんな有刺鉄線の処迄見送る、そして二人は直下の内に消えて行く。それは恰も壮行会と云った様な形ではあるが何ともいへない冷たい、重い苦しさが胸一杯になる。

 第一回の死刑執行だから、みんなは只案じて其情報を待っている。

 午前十時頃二人の友人は帰って来た。そして吾等使役に行かなかった人々は、室内で仏事を営む可く、事務員や炊事係に交渉して、生の甘藷三本、生落花生二十粒位、胡瓜二、三本、カンコン、野菜の若干。又使役に出た人々が得て来た煙草や、何にや彼やと供える。又インドネシヤ側から差入物の菓子、煙草が供へられる。


幸い大崎杉本両氏の尽力で線香も手に入り、仏壇を作って白木の位牌に此等の物を供へる。使役から帰った人達は野花を折って持って来る。かくして仏壇は更に形態を整えた。


 タ食を終って一同は霊前に集り、T氏が短かい読経を上げられ、親疎の順に従って焼香を済し、介添人たる両氏から次の様な報告があった。
 ・『大崎杉本両氏と共に待って居るど、両腕を後に縛られ憲兵に守られてトラックから下りた両氏は、元気に、人生を割切った様な気持で、足取も確かに悠々と我等に近付いた。

五人の憲兵は両人を我等に引渡したので、一同は椰子の木の根に腰を下し、皆が心を籠めて作った団子や、煙草をすすめ、互に最期の盃を飲み交はし、いよいよ刑場に向った。

刑場には知事、司令官、検事、軍医の順で並んで居った。
通訳と共に山田氏は此等の人の面前に進み、最後の別れを次の如く述べた。


  「永々御厄介になりました。自分はここらで死にます、然し日本軍人の教育は、七度生れ代って敵を亡すにある。それ故に第三次大戦に於ては戦場で、皆さんに御目にかかる事を約束する」

 と述べて勇しく椰子樹に縛せられ、射手を目前に見ながら、日頃彼が好きであった黒田節を唄い終へた瞬間に発射された。

 次で平山氏も知事以下に向って

  「永々御厄介になりました、死に当って一言申上げます。日本軍人教育は、七度生れ代って敵を亡すにある。次の大戦には貴方達と再び戦場に於て御目にかかる事を記憶していて下さい。」
 と山田氏と同様の挨拶をした。

 斯くして、天皇陛下万歳を二唱した時、発砲せられ、安らけく昇天せられた。
執行の第一番目であった丈け、同氏がどんな態度であったかは、われわれに取って非常に心に懸っていた。

然しこの様に日本人たる名に恥ぢず、天晴見事に世を去ったのである、

ちなみに両氏共目隠しは拒絶した」。
 
 
注、文書は原文どおりですので若干読みづらいかと思います。ご了承ください  管理人 NEXT    
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