NPO 茨城インドネシア協会
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独立運動秘話    はじめに                 村上 薫

多くの日本人が挺身        --- 日本への信頼勝ち取る ---

    
今年九月、二人の日本人がインドネシア政府からナラリア勲章を受章した。

一人は稲嶺一郎氏(前参議院議員、現在、琉球石油会長、ASEAN協会会長)、
もう一人は金子智一氏(財)日本・インドネシア協会常務理事、日本・インドネシア友好団体協議会専務理事、日本歩け歩け協会会長)で
ある。

 ナラリア勲章はインドネンアの独立と復興、発展のため尽力した人に与えられる最高の栄誉で、これまでこの勲章をもらった日本人は

前田精海軍少将(ジャカルタ海軍武官府長官、死去)、
高杉晋一(海外経済協力基金総裁、故人)、
清水斉(陸軍報道班員)、
小笠公詔(日本・インドネシア協会会長、元参議院議員、故人)氏ら四人だけである。

 日本が降伏した翌日の一九四五年八月十六日、前田少将の官邸内でスカルノ、ハタ等独立の闘士たちが独立宣言の起草に当たっていた。

そして翌十七日午前十時、スカルノは全インドネシア民族待望の独立宣言を発表した。

 だがその陰で、稲嶺、金子氏らは、インドネシア独立を支援したとして、翌年一月(金子氏)と三月(稲嶺氏)が、それぞれ英軍に逮捕され、ジャカルタ市内の刑務所に約一年間も投獄されてしまったのである。

 侵略戦争として、とかく悪評高き太平洋戦争ではあるが、その中にあって東南アジア、とりわけインドネシアが戦時中から戦後、そして今日に至るまで、一貫して親日的な態度をとり続けているのは、両氏に示されるように多くの日本人が、文字どおり身体を張ってインドネシア独立に協力してきたからである。

このほか日本籍を離れ、独立戦争に参加した日本兵はスマトラ地区が五百人を超え、ジャバ島(ジャワ)で約三百人、このうち連合軍との戦いで戦死した数は四百人にのぼる。

驚くべき戦死率だが、このことは日本兵がいかに先頭を切って勇敢に戦ったかを示している。

本稿では金子氏らの証言を基に、当時、多くの名もなき日本人が、いかにインドネシアの独立のため生命を投げ出して闘ったか、その当時の模様を掘り起こしてみることとする。

 現在、米国ではP・ケネディ教授の「大国の興亡」をめぐって激しい論争が展開されている。
一方、敗戦の焼け跡の中から立ち上がった日本は、今や世界最大の債権国となり、その一挙手一投足は世界の注目の的になっている。

ところが、経済大国になった途端、日本人の心に″傲(おご)り″が生じ、アメリカやアジア周辺諸国に対日不信感が高まっている。
海外で日本人がチヤホヤされるのは、ずぱりいってカネだけが目当てであり、心の中では決して尊敬されていない。

 国家が国際的に孤立化を免れる一つの尺度が、友好国をどれだけ持っているかであるが、その伝でいけば日本は、近隣諸国から好かれているとはいい難い。その最大の理由が、戦前の日本の行動であり、その行動に対する日本の認識の欠如にある。

 「日本はアシアで真の友人を一人も持っていない。
日本人はアシアを一段低く見て威張り過ぎているからだ」と、西独のシュミット前首相も辛らつな批判を行っている。
日本が″経済大国″から″尊敬される国″へ変身するためにはどうあらねばならぬか

--それを解くカギを、インドネシア独立運動に挺(てい)身した日本人たちが提供してくれるはずである。
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