NPO 茨城インドネシア協会
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(遺稿)          インドネシアと私とキリスト教                                                       青木次郎

第二次対戦中。満州の八面通というところにいた私は、南方前線への転属を命じられ、最前線であったハルマヘラ島へ向かう途中の昭和19年8月29日、セレベス海を航行中に乗っていた輸送船が敵潜水艦の攻撃を受けて沈められました。
乗船していた兵員400
0名の内約半数は壮途半ばにして乗船「めきしこ丸」と共にセレベス海の海底深く消えてしまったのです。やっと離船できた者たちは、救命胴衣ひとつを頼りに海上を漂流するこ36時間余り、やっと救助されて上陸したのがインドネシアのメナドという港町であったのです。

その後一年この地に駐屯していましたが、敗戦によってビートンというところ
に集結させられ、捕虜生活をするごとになり、あわせて約2年間この地で生活することになったのです。 
メナドという町は、インドネシアのスラウシ島の北の端にあるミナハサ州の首都で、
フィリピンにいちばん近いところです。
ここの住民は、他のインドネシア人と比較すると
肌の色は白く、先祖はモンゴルから渡来してきたのだと称して、顔・形も我々日本人に非常によく似た大が多く見かけられます。 

インドネシアの宗教は、全人口の90%がイスラム教徒といわれている中で、この地域
は逆に90%がキリスト教徒で、残りがイスラム、ヒンズー、仏教の人たちなのです。
そのため、この地域の大たちミナハサホスピタリティーとも呼ばれていて、とても親切で人なつっこく、たいへん来客好きな人たちなのです。
特に日本人に対しては非常に友好的であります。
それは、昔からたくさんの日本人との交流があり、また第二次大戦のとき、ここの地域は最初日本海軍の落下傘部隊の降下によって占拠された所で、海軍の軍政下におかれていたためであるといわれています。

海軍の人たちは現地の民衆をよく理解し、「何事によらずこちらの考えを押し付けることなく、なべて現地の要求をよく聞くべし」という方針のもとに軍政がしかれていたということです。
またこの地域は最後まで敵の上陸がなく、
各部落が戦場にさらされなかったということもあって、落ち着いた生活がなされていたと思います。

 とかく戦時中は多くの日本の軍人も官吏も、現地住民の要求など無視して、すべておしつけることしかしなかったという中で、メナド駐留の海軍部隊がこのような方針をもって占領地を治めていたというごとは立派であったと思います、特にミナハサ地方はキリスト教徒の多いところで、住民の生活指導のため海軍軍政部は日本キリスト教団に対して、施政官のアシスタントとして日本人牧師の派遣を要請し、日本から数人の牧師がメナドにきておりました。
それはキリスト教の布教のためということではなく、当時敵国であったア
メリカ、イギリス、オランダ等がキリスト教国であるために、キリスト教を信じている者は,皆敵国人であるという考えをもつ日本人が多い時代であったので、インドネシアでも特にキリスト教徒の多いこの地域を治めていくには、まず、キリスト教を理解しなければならなかったからではないでしょうか。

 またインドネシアでは、総人口の90%の信者を持つイスラム教の人たちの中には、キ
リスト教に反感を抱いている人が多く、ボルネオ島において開戦当初、日本軍の進攻を利用してキリスト教徒の弾圧が計画され、日本軍への密告によって2,000人以上のキリスト教徒が殺戮されるという事件「金田著「拒絶の理由」)が起きたばかりであったので、同じ過ちをくりかえさないようにということもあったのでしょう。
いずれにしても日本は
宗教的なことでは差別しないということを知らしめていく必要があったのだと思います。 

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