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追憶、漂流36時間の記憶  @/3      青木 次郎

輸送船


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昭和十九年八月八日、待ちに待った出動の命令が下った。関東軍の自動車に関係ある精鋭の中から選び抜かれて編成された我々野戦自動車廠移動修理班要員一五〇名は、重修理、軽修理車十七台と共に最前線に向かうべくマニラ港から乗船したのである。

我々が乗船した船は「めきしこ丸」という総屯数五七〇〇屯の貨物船で、貨物をつめ込む深い船槍は何階かに仕切られ、各階毎、真中に通路を作りその両側は、丁度お蚕棚の様な二段の棚が設けられ荒筵が敷かれてあった。

そこが我々に与えられた兵室なのである。棚の中は天井が低く奥の方へ入って行くには四つんばいになって行かなければならない。やっとその一角に持ち込んだ装具等を整理し、座われるだけのスペースを確保することが出来た。

然し五〇〇〇屯級の船に兵員四〇〇〇名余り、その他たくさんの武器弾薬、糧秣、貨車、重油やガソリンまで積み込んだのであるから、それこそ缶詰いや艦詰である。

いよいよ出港という頃には船艙は兵員で溢れてしまった。
命令により兵隊は甲板に出ることが禁止されているので、船艙の中は蒸し風呂のようである。

然もどういう訳か知れぬが、マニラの桟橋をはなれ沖合に碇泊したまま一週間近くも待機させられたのだからたまったものでない、

軍衣など着てはおられず全員上半身裸でいても汗びっしょりになる。

それで狭い蚕棚の中を動き廻るのだからお互いの汗の身体がベタベタふ拠合いその気持悪いこと彩しい。板の上に敷かれてある荒莚はとっくに流れる汗でベットリとして色が変ってしまっている。
八月十五日未明、エンジンの音が軽ろやかに聞こえて来た。やっとマニラ港を出航である。

船が動き出すと甲板に通ずる出入口からわずかながらの風が船鎗に流れ込んで来て、港内待機の時よりは幾分か蒸し暑さは和らいだようであるが、暑苦しさには変りがない。甲板に通ずる通路は暑さを逃れてすこしでも涼しい所を求めてたむろする兵隊でたちまち一ぱいになってしまった。

船は敵潜水艦の攻撃を警戒しながらゆっくりとした速度で航海を続けてゆく。八月十七日セブ島に到着、この辺は入組んだ所で敵潜攻撃の心配が少ないせいか、港内碇泊中甲板上に出る事が許可された。
我先に一時の涼を求めて全員が甲板に溢れ出る、船の回りには小.さな舟に乗った現地の人々が色々の果物を持って集って来た。

船からロープの先にお金を入れた雑嚢を下げてやると果物を入れて呉れる。中には錨のロープを猿のように果物を持ったままスルスルと伝わって昇って来る若者もいる。
一週間以上の苦しい艦詰生活を味合って来た我々には、そこは天国のように見えた。そして久しぶりに味合った南国の味は一きわ美味しかった。

翌十八日夕刻セブ港を出航、再び灼熱地獄の生活に逆戻りである。八月二十日、ザンボアンガに到着、我々にはこの様な短い間隔で度々港に碇泊し甲板に出られることは砂漠においてオアシスに逢ったようなもので、その都度一息入れられるので大助りである。

八月二十一日、ザンボアンガを出航、同夜遅くポロ島に入港、ミンダナオ諸島最後の碇泊地である。
この辺りからだんだん警戒海域に近づいたのか、船のスピードが大分落ちて来た。然も海上をあちらこちらと俗にいうジグザグ運航である。

昼の明るい内はミンダナオ島の島かげを縫うように進むのであるが、この辺までは軍の宜撫が行き届いていないので反日的島民が多いため、何時何処からスパイの目が光っているかわからない。

特に兵員輸送と知れると大変な事になるというので昼間甲板に出ることは特にうるさかったが、夜間暗くなってからなら甲板に出る事が許可された。唯、夜間の火気だけは厳重に禁止され甲板上の喫煙は出来なかった。

我々がマニラ港で積込んだ移動修理車は、五番船艙のフタの上にぎっしりと並べべられ太いロープでかたく止められ、その上から大きなシートがスッポリとかけてあった。自分達修理班員にとっては一番大事な兵器である。

そのためこれを守るという訳でもないが、その車輌のすぐ脇のハッチの左側で船首に近い所の一角を占領、移動修理班の下士官室となってしまった。

我々のすぐ前に船のロープやバケツなど小物を入れる物置があり、中はほとんど空っぽだったので自分が預かっていた公用行李や装具類を入れておいた。南方の夜は涼しい、昼間の暑さなどすっかり忘れさせて呉れる。
ハッチのふちに背をもたれて、ちっと海面から水平線へと目を向けると真黒な夜空に星がどんどん湧き出るように光って来る。

こんなにたくさんの星空をかつて見たことがあっただろうか。微かに聞こえる波の音と、低速回転を続ける船の機関音が心地良いハーモニーとなって私達の気持を和らげてくれ、ここ二週間ばかりの苦しかった事など}ぺんに吹き飛んでしまった。

ズッと身体をすべらせて横になる、救命胴衣を枕代りにし携帯天幕を広げて夜つゆをさけるため腹の上にかける。そして仰ぎ見る天空には南十字星が一きわ輝きを増して美しく光っている。フト戦争なんてどこにあるのだろうという気持になる。

八月二十二日、早朝ポロ島出航、いよいよ戦争海域である。再び全員船鎗に追い込まれ、ちっと日中の暑さに堪える。夜間暗くなるのを待ちかねるようにして甲板で南海の夜つゆを思う存分吸い込む。
真夜中頃船の動きが何となくおかしくなった。船員が何かバタバタと動き廻っている。そのうち伝令が命令受領者集合を伝えて来た。早速軍装を整えて指揮官室へ行く、命令は「めきしこ丸は僚船『はあぶる丸』が故障のためこれを曳航して再びホロ島へ引返す」とのことである。

マニラ港を出航してから十日近くもかかり、やっとポロ島を出航したと思ったのに、又危険な戦争海域を逆戻りしなければならないのである。一体全体目的地に行き漕くのは何時になるのだろう、と考えると心細くなる。
まして快適な航海ならばともかく、狭い暑い蒸し風呂のような中にヂッと押し込められたままの航海では、一日も早く陸地をこの足で踏みたくなる。

海上生活には馴れてない陸軍の兵達である。この頃になると全員すっかり弱って来た。唯気力だけをたよりに頑張っていると言った状態で、中でも身体の弱い兵はこれに堪えられなくなってどんどんたおれて行く。
二十三日とうとう一名の犠牲者が出た。目的地を前にして途中南海の波間に白布に包まれて消`えて行く友を見送り、唯感無量である。

ポロ島に引返し待機していた我々は、八月二十七日早朝再び出航することになった。・当初マニラ港を出航の際は九隻であった船団も、再度ポロ島を出航の時には我々の乗った「めきしこ丸」1隻になってしまっていた。
護衛の艦もだんだん削られて哨戒艇一隻、駆潜艇一隻の二隻のみである。ポロ島までは陸地を近くに見ての航海であったが、これからは全々陸地の影すら見ることのない広いセレベス海を横切るのである。

本日、又、兵二名の犠牲者が出た。戦争とはこんなものなのか。暑い狭い船室の中でちっと死を待ちながら堪えることも、病との戦いも戦争のうちなのか、これから目的地に上陸出来るまで幾日かかるか知れないが果してそれまで何人の犠牲者が出るのであろうか。

この様にしているなかにも、姿もなく、武器もない目にも見えない敵との戦争が起っているのである。

日没後甲板に出られることは、元気なものにとって一つの楽しみとなった。わずかばかりでも明日ヘエネルギー蓄積の場となっている。然し弱っている兵にとっては甲板に出ることも苦痛となるのか、夜甲板に出て来る兵の数は少なくなった。

船内での食事は始めのうちは何とか食べられたが、だんだん喉を通らなくなって来た。塩水に色をつけた様な汁と変に臭い匂いのする真赤な飯である。
そのためか下痢患者が多くなって、船内の便所は何時も満員である。そのため夜間は甲板の船べりに突き出た様に造られている簡易便所を使用するのである。

それは、ただ木の枠を作りロープで堅く手すりに結びつけてあるだけのもので、中には板が二枚渡してあって真中が開いている。

その中に腰を落してセレベス海の波間に向け排泄物を投下させるのであるが、始めは恐ろしくて仲々出来ないが、馴れて来ると真に気持よいものである。満天の星空を眺めながら、潮風に尻を撫でらせ悠々と大海の真只中に落させる。そんな気分は普通では仲々味合えるものではない。

ホロ島を出てから丸1日が過ぎた。甲板上にも夜明けが近づいて来た。夜の帳りを開こうとする海上には、目に触れる遮蔽物は一つもない。護衛艦の姿も何処へ行ったのか見えない、見渡す限りに小さな白波だけが、幾千幾万と破けながら次から次へと果てしない海の彼方へ去って行く。
ほの明るくなった夜明けの光の中で白波だけが生きている様に輝ききらめいている。実に美しい南海の夜明けである。八月二十八日、全員船槍待機、船は唯黙々と進んで行く、静かなエンジンの音だけが妙に元気な様に聞える。あちらこちらに青白い顔をして虚ろな眼を低い天井に向けている兵がいる。

荒莚の上に正体もなく転っている兵もいる。所々にかたまって手造りの花札で時を忘れようどしているものも居る。長い一日である。喉を通らぬ夕食もやっと終えて元気な者達は甲板に逃れる。もう幾日も同じ事の繰返しで、自分の定位置は空けてある。いつも隣には一分隊長の岩崎伍長が陣取っていた。

夜空を眺めながら色々の事を話合う。故郷のこと家族のこと、恋人のこと、転属前の戦友のこと等々、若しそれらの話の中で少しでもつながりのある事でもあるとそれからそれへと話が進んで行く。

お互い朝鮮釜山にて編成されるまでは全々見知らずの仲だったのだが、この僅かの間にまるで何十年も一緒に暮らして来た兄弟の様に親しくなった。
すっかり暮れた夜空は昨夜と少しも変っていない、静かな南海の夜空である。夫々がつい先程まで語り合っていた故郷を夢に、深い眠りに落ちて行く。甲板の上は単調なエンジンの音に交って軽い寝息のオーケストラで更けて行った。

海没
夜半も大分過ぎ、二+九日もそろそろ夜明けを迎えようとする頃、当然ババーンという轟音と共に身体が何メートルも宙に吹き飛ばされたような気がした。夢中で掛けてい天幕を頭から被る。外は大雨が降ている時のようなザザーという音が続いている、

じっとそのままどの位讐ていたかわからないが、そっと天幕から顔を出す、眼に映った辺りの様子が全々違う。真赤な太陽の中に飛び込んで仕舞った様である。フト此処が死の世界なのか、これが地獄という所なのかと思った。回りの物総てが真赤に燃えているように見えた、いや実際に燃えているのだ。

やっと我に返り事の重大さに気づく、火災を起しているのは船首の方で、敵潜水艦の魚雷が命中したらしい。船首の船底には重油やガソリン弾薬等が積込んである筈である。それらに引火して大火災が起きたのであろう。

然も命中孔から海中に流れ出た油類にまで引火して船の右舷一面が火の海となっているのである。
船はすでに船首から沈みかけている。退船命令が慌ただしくスピーカーから流れ、海中には命中のシ.ックで海中に投げ出されたのか、自ら退船したのか兵の姿がたくさん見える。

見ると傍らのハッチの上にあった筈の我らの修理車の姿がない、ハッチが大きく口を開けている。衝撃の反動で蓋が外れ、車輌はそのまま船槍の中へ落ち込んで仕舞ったのだ。

その船鎗は兵室になっている、まして夜半のこと、中には多くの兵隊が寝ていた筈である。彼らは一体どうなっているのかと思ったが、もう船倉には入れない、通路は甲板に逃げ出て来る兵隊で一ぱいである。

隣を見ると前夜まで語り合っていた一分隊の班長が動かないで寝ている。良く見ると胸の辺りに親指ほどの太さで長さ七・八十センチ位の鉄の棒が突き刺っている。つい先程まで肩を拉べて寝ていたのに運命の恐ろしさをつくづく感じさせられる。

丁度その時、その分隊の兵が二・三人船槍から逃げ出て来た。「オイお前らの班長が負傷している助けてやれ」と命令する。彼らは海に飛び込もうとしていたのだが、引返して班長の身体にかたく救命胴衣を結びつけ二人でかついで海に投じ、自分らも続いて次々と飛び込んで行った。


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